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最高裁判所大法廷 昭和39年(オ)155号 判決 1970年6月24日

上告人

代理人

川島一郎

外四名

被上告人

株式会社親和銀行

代理人

安田幹太

安田弘

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人広木重喜、同天野五平、同坂梨良宏、同由布惟友、同木村穣名義の上告理由について。

国税債権が一般債権者に対する関係において優先的地位を与えられる場合のあることは所論のとおりであるが、旧国税徴収法(昭和三四年法律一四七号による改正前のもの。以下同じ。)による滞納処分としての債権の差押およびこれに伴う法定取立権の制度は、強制執行による一般の債権の差押および取立命令の制度とその実質において異なるところはなく、第三債務者の相殺権に及ぼす効力についても、国税滞納処分であることまたは旧国税徴収法に基づく法定取立権であることの故に、これを別異に取り扱うべき実定法上の根拠はない。したがつて、その差押が第三債務者の相殺権に及ぼす効力についても、民法の相殺に関する規定の解釈の問題として考慮すれば足りるものというべきである。

ところで、相殺の制度は、互いに同種の債権を有する当事者間において、相対立する債権債務を簡易な方法によつて決済し、もつて両者の債権関係を円滑かつ公平に処理することを目的とする合理的な制度であつて、相殺権を行使する債権者の立場からすれば、債務者の資力が不十分な場合においても、自己の債権について確実かつ十分な弁済を受けたと同様な利益を受けることができる点において、労働債権につきあたかも担保権を有するにも似た地位が与えられるという機能を営むものである。相殺制度のこの目的および機能は、現在の経済社会において取引の助長にも役立つものであるから、この制度によつて保護される当事者の地位は、できるかぎり尊重すべきものであつて、当事者の一方の債権について差押が行なわれた場合においても、明文の根拠なくして、たやすくこれを否定すべきものではない。

およそ、債権が差し押えられた場合においては、差押を受けた者は、被差押債権の処分、ことにその取立をすることを禁止され(民訴法五九八条一項後段)、その結果として、第三債務者もまた、債務者に対し弁済することを禁止され(同項前段、民法四八一条一項)、かつ債務者との間に債務の消滅またはその内容の変更を目的とする債務、すなわち、代物弁済、更改、相殺契約、債権額の減少、弁済期の延期等の約定などをすることが許されなくなるけれども、これは、債務者の権能が差押によつて制限されることから生ずるいわば反射的効果に過ぎないのであつて、第三債務者としては、右制約に反しないかぎり、債務者に対するあらゆる抗弁をもつて差押債権者に対抗することができるものと解すべきである。すなわち、差押は、債務者の行為に関係のない客観的事実または第三債務者のみの行為により、その債権が消滅しまたはその内容が変更されることを妨げる効力を有しないのであつて、第三債務者がその一方的意思表示をもつてする相殺権の行使も、相手方の自己に対する債権が差押を受けたという一事によつて、当然に禁止されるべきいわれはないというべきである。

もつとも、民法五一一条は、一方において、債権を差し押えた債権者の利益をも考慮し、第三債務者が差押後に取得した債権による相殺は差押債権者に対抗しえない旨を規定している。しかしながら、同条の文言および前示相殺制度の本質に鑑みれば、同条は、第三債務者が債務者に対して有する債権をもつて差押債権者に対し相殺をなしうることを当然の前提としたうえ、差押後に発生した債権または差押後に他から取得した債権を自働債権とする相殺のみを例外的に禁止することによつて、その限度において、差押債権者と第三債務者の間の利益の調節を図つたものと解するのが相当である。したがつて、第三債務者は、その債権が差押後に取得されたものでないかぎり、自働債権および受働債権の弁済期の前後を問わず、相殺適状に達しさえすれば、差押後においても、これを自働債権として相殺をなしうるものと解すべきであり、これと異なる論旨は採用することができない。

つぎに、原審が確定したところによれば、被上告銀行と訴外浅田工業株式会社(以下訴外会社という。)との間に本件差押前に締結された継続的取引の約定書には、第九条第一項本文として「左の場合には、債務の全額につき弁済期到来したるものとし、借主(訴外会社をいう)又は保証人の被告銀行(被上告銀行)に対する預金その他の債権と弁済期の到否にかかわらず、任意相殺されても異議がなく、請求次第債務を弁済する」との条項が、そして同項第三号として「借主又は保証人につき、仮処分差押仮差押の申請、支払停止、破産若くは和議の申立てがあつたとき」との条項が存し、被上告銀行は、右特約に基づき、本件差押当日現在被上告銀行が訴外会社に対して有していた原判示の貸付金債権合計六、一〇六、〇〇〇円、および同日現在訴外会社が被上告銀行に対して有していた原判示の預金等の債権合計六、五〇三、九二八円の両者について、本来の弁済期未到来の債権については各弁済期が同日到来したものとして、昭和三五年三月二一日本件第一審の口頭弁論において、上告人に対し、前者を自働債権とし、後者を受働債権として、対当額で相殺する旨の意思表示をしたというのである。

右認定の事実によれば、右特約は、訴外会社またはその保証人について前記のように信用を悪化させる一定の客観的事情が発生した場合においては、被上告銀行の訴外会社に対する貸付金債権について、訴外会社のために存する期限の利益を喪失せしめ、一方、同人らの被上告銀行に対する預金の債権については、被上告銀行において期限の利益を放棄し、直ちに相殺適状を生ぜしめる旨の合意と解することができるのであつて、かかる合意が契約自由の原則上有効であることは論をまたないから、本件各債権は、遅くとも、差押の時に全部相殺適状が生じたものといわなければならない。そして、差押の効力に関して先に説示したところからすれば、被上告銀行のした前示相殺の意思表示は、右相殺適状が生じた時に遡つて効力を生じ本件差押にかかる訴外会社の債権は、右相殺および原審認定の弁済により、全部消滅に帰したものというべきである。

したがつて、これと結論を同じくする原審の判断は、結論において正当であり、これと異なる所論は、ひつきよう、独自の見解のもとに原判決を論難するに帰し、採用することができない。なお、相殺と差押の効力、およびいわゆる相殺予約の効力に関し、さきに当裁判所が示した見解(昭和三六年(オ)第八九七号同三九年一二月二三日大法廷判決、民集一八巻一〇号二二一七頁)は、右の限度において、変更されるべきものである。

よつて、本件上告は、これを棄却すべきものとし、民訴法三九六条、三八四条二項、九五条、八九条に従い、裁判官岩田誠の補足意見、裁判官松田二郎、同色川幸太郎、同大隅健一郎の意見、裁判官入江俊郎、同長部謹吾、同城戸芳彦、同田中二郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見により、主文のとおり判決する。

裁判官岩田誠の補足意見は、次のとおりである。

私は、本判決の多数意見に賛同するものであるが、差押と相殺の関係、すなわち、国税滞納処分として、上告人国が訴外浅田工業株式会社(以下単に訴外会社という)の被上告人株式会社親和銀行(以下単に被上告銀行という)に対して有する債権(割増定期預金債権、定期預金債権)を差し押えた場合に、第三債務者である被上告銀行は、訴外会社に対して有する如何なる債権を自働債権として上告人に相殺を対抗できるかの点について、私かぎりの意見を附加したい。

当庁昭和三六年(オ)第八九七号同三九年一二月二三日大法廷判決(民集一八巻一〇号二二一七頁)の多数意見は、「第三債務者が差押前に取得した債権であるからといつて、その弁済期の如何に拘らず、すべて差押債権者に相殺を対抗し得るものと解することは正当ではない。すなわち、差押当時両債権が既に相殺適状にあるときは勿論、反対債権が差押当時未だ弁済期に達していない場合でも、被差押債権である受働債権の弁済期より先にその弁済期が到来するものであるときは、前記民法五一一条の反対解釈により、相殺を以つて差押債権者に対抗し得るものと解すべきである。けだし、かかる場合に、被差押債権の弁済期が到来して差押債権者がその履行を請求し得る状態に達した時は、それ以前に自働債権の弁済期は既に到来しておるのであるから、第三債務者は自働債権により被差押債権と相殺することができる関係にあり、かかる第三債務者の自己の反対債権を以つてする将来の相殺に関する期待は正当に保護さるべきであるからである。これに反し反対債権の弁済期が被差押債権の弁済期より後に到来する場合は、相殺を以つて差押債権者に対抗できないものと解するのが相当である。けだし、かかる場合に被差押債権の弁済期が到来して第三債務者に対し履行の請求をすることができるに至つたときには、第三債務者は自己の反対債権の弁済期が到来していないから、相殺を主張し得ないのであり、従つて差押当時自己の反対債権を以つて被差押債権と相殺し自己の債務を免れ得るという正当な期待を有していたものとはいえないのみならず、既に弁済期の到来した被差押債権の弁済を拒否しつつ、自己の自働債権の弁済期の到来をまつて相殺を主張するが如きは誠実な債務者とはいいがたく、かかる第三債務者を特に保護すべき必要がないからである。」と判示している。

しかし、右にいう「差押債権者に相殺を対抗し得る」とは如何なる意味であろうか。元来、相殺とは、互いに相対立する同種の債権を有する当事者間において、双方の債務がともに弁済期にある場合になしうるものであるから、相殺の意思表示は、右双方の債務がともに弁済期に達した時、すなわち相殺適状を生じた時、またはその後になされるのを原則とする。したがつて、債権が差し押えられた場合において、差押債権者に対し、第三債務者が相殺を主張するのは、差押債権者から、その被差押債権(受働債権)の請求を受けたときに初めて生ずる事柄である。換言すれば、相殺の対抗の問題は、被差押債権が履行期(弁済期)に達し、差押債権者が第三債務者に対し、その支払を請求したとき、初めて、現実化する問題なのである。もつとも、対立する同種の債権の当事者としての将来相殺によつて清算し得る合理的な期待をもつ者の地位を相殺権と呼ぶこともある。前記判示にいう「差押債権者に相殺を対抗し得る」との意も、「差押当時第三債務者が将来相殺によつて清算し得る合理的な期待を有する」こと、すなわち」相殺権を有することを、差押債権者に主張し対抗し得る」という意とも解せられる。それが右の意であるとすれば、なるほど、第三債務者は、差押債権者から被差押債権(受働債権)の弁済期前にその支払を請求されたとき、右受働債権より先に弁済期の到来する反対債権を有することを理由に差押債権者に前記意義の相殺権を対抗し、もつて受働債権の将来の履行を拒むことを得るといえることになるかもしれない。しかしながら、現実の問題としては、差押債権者の主張する被差押債権(受働債権)は、この場合は未だ履行期に達していないのであるから、第三債務者は、相殺権を云々するまでもなく、履行期に達していないことを理由に差押債権者の請求を拒めば足りるのである。また、既に弁済期にある被差押債権の請求を受けた場合に、第三債務者が、未だ弁済期に達しない反対債権を有することを理由に、前記意義の相殺権を対抗し差押債権者に被差押債権の履行を拒むことはできない。これを拒みうるとすることの不合理なことは、前記大法廷の多数意見の判示するとおりである。しかし、右の如き場合は、被差押債権(受働債権)と、第三債務者の債務者に対する反対債権とは、そもそも相殺適状にないのであるから、第三債務者は法律上相殺することができないに過ぎないのである(民法五〇五条)。そして、本件多数意見も、右の場合でも、「第三債務者が差押債権者に対し、相殺を対抗できるとはいつていないのである。すなわち、本件多数意見も、「第三債務者は、その債権が差押後に取得されたものでないかぎり、自働債権および受働債権の弁済期の前後を問わず、相殺適状に達しさえすれば差押後においても、これを自働債権として相殺をなしうるものと解すべきである」と判示しているのであつて、相殺適状にないのに、反対債権のあることを主張して弁済期に達している差押債権者の請求を拒み得るとするものではない。

前記大法廷の多数意見は、「差押債権者に相殺を対抗し得る」との意を前記意義における相殺権を対抗し得るとの意に用い、第三債務者の有する反対債権(自働債権)の弁済期が被差押債権(受働債権)の弁済期より後に来る関係にさえあれば、差押債権者が何らか自己の都合で被差押債権(受働債権、殊に本件のような取り立て債権と思われる定期預金債権)の履行請求をおくらせている間に、第三債務者の反対債権が弁済期に達し相殺適状を生じた場合でも、第三債務者には相殺することが許されないとするかの如くである。この理をおせば、もし、第三債務者において被差押債権(受働債権)の存在自体を争い、訴訟となり、その結果、差押債権者主張どおりの債権の存在を認める裁判(第三債務者がその被差押債務の存在を争うことは、常に必ずしも不誠実であるとはいえない。)はあつたが、その訴訟の間に第三債務者の有する反対債権の弁済期も到来し、相殺適状を生じた場合でも、第三債務者が差押以前から有していた反対債権をもつて被差押債権と相殺することは許さないとすることになるであろう。しかし、この後の設例では、第三債務者は被差債押権(受働債権)の履行期日以降自己の有する反対債権と相殺適状が成立するまで被差押債権に対する履行遅滞による損害金債務を負担しなければならないことは論をまたないけれども、このような場合においても、第三債務者をすべて「差押当時自己の反対債権を以つて被差押債権と相殺し自己の債務を免れ得るという正当な期待を有しないもの」として、差押債権者に対し相殺できないとしてよいものであろうか。私は、かく解することは、却つて不合理のように思う。けだし、民法は、相対立する債権の弁済期が、本来互いに異なることを予定したればこそ、双方の債権が共に弁済期に達していることを相殺の要件としているのであつて、そこにおいては、同種の債権が相対立してさえいれば、相殺に対する正当な期待が肯定されているのである。もし然らずとすれば、両債権の弁済期が同じでないかぎり、差押の無い場合においても、弁済期の遅い債権を有する債権者は、常に、相殺によつて自己の債権を決済すべき正当な期待を有していないことになるであろう。しかし、それは、民法が相殺の制度を認めた本来の趣旨に反する議論ではあるまいか。そして、差押の効力について、本件多数意見のいうところからすれば、第三債務者が差押前に債務者に対して有していたこの期待は、差押によつて無視されるべきものではないのである。

国税徴収法に基く滞納処分としての滞納者の債権の差押も、同法に基くその債権の法定取立権も、本来滞納者の財産から滞納された税を取り立てることを目的とするのであるから、差し押えられた債権が、差押当時から何らかの第三債務者の抗弁に服するようなものであるときは、差押によつて第三債務者の右抗弁を剥奪することはできないこと当然である。そうだとすれば、差押債権者と第三債務者との間の利益を調整するため設けられた民法五一一条は、前記大法廷の判決における横田裁判官の反対意見および本件多数意見の如く、その文言どおりに解すべきで、明文を異にするドイツ法と同様の解釈をする必要はないものと信ずる。

裁判官松田二郎の意見は、次のとおりである。

(一)  当裁判所の大法廷は、先に昭和三九年一二月二三日、預金返還請求事件(昭和三六年(オ)第八九七号)において、反対債権による被差押債権との相殺並びに相殺契約の効力に関し、次の判示をしたのである。すなわち、「(1)甲が乙の丙に対する債権を差し押えた場合において、丙が差押前に取得した乙に対する債権の弁済期が差押時より後であるが、被差押債権の弁済期より前に到来する関係にあるときは、丙は右両債権の差押後の相殺をもつて甲に対抗することができるが、右両債権の弁済期の前後が逆であるときは丙は右相殺をもつて甲に対抗することはできないものと解すべきである(以下これを判示第一点という)、(2)債権者と債務者との間で相対立する債権につき将来差押を受ける等一定の事由が発生した場合には、両債権の弁済期のいかんを問わず、直ちに相殺適状を生ずる旨の契約および予約完結の意思表示により相殺をすることができる旨の相殺予約は、相殺をもつて差押債権者に対抗できる前項の場合にかぎつて、差押債権者に対し有効であると解すべきである(以下これを判示第二点という)」としたのである(民集一八巻一〇号二二一七頁)。私は、この判決の右判示第一点に賛成し、右判示第二点に反対したのであつた。

しかるところ、本件につき、今や当裁判所の大法廷は、前記判例を変更した。今次の多数意見は、主としてわが民法五一一条「支払ノ差止ヲ受ケタル第三債務者ハ其後ニ取得シタル債権ニ依リ相殺ヲ以テ差押債権者ニ対抗スルコトヲ得ス」の規定をその主張の根拠とするものといえよう。多数意見はいう「同条(民法五一一条を指す)の文言および前示相殺制度の本質に鑑みれば、同条は、第三債務者が債務者に対して有する債権をもつて差押債権者に対し相殺をなしうることを当然の前提としたうえ、差押後に発生した債権または差押後に他より取得した債権を自働債権とする相殺のみを例外的に禁止することによつて、その限度において、差押債権者と第三債務者の間の利益の調節を図つたものと解するのが相当である」と。多数意見はこのような見解に立つて曰く、「したがつて、第三債務者は、その債権が差押後に取得されたものでないかぎり、自働債権および受働債権の弁済期の前後を問わず、相殺適状に達しさえすれば、差押後においても、これを自働債権として相殺をなしうる」と。もつとも、多数意見は、前示昭和三九年一二月二三日判決との差異を明らかにしていないが、両者の主たる差異は次の点にあらわれると解される。すなわち、昭和三九年一二月二三日の判決によれば、差押債権者が債務者の第三債務者に対して有する債権を差押えた場合、第三債務者が相殺に供しうる反対債権は、差押の時点において既に弁済期が到来しているか、少なくとも被差押債権よりも先に弁済期の到来するものでなければならないのに対し、今次の多数意見は、差押の時点において被差押債権より後に弁済期の到来する反対債権をもつても相殺をなし得るとするのである。かくして、昭和三九年一二月二三日の大法廷判決は、僅か五年有余にして変更されるに至つた。

思うに、社会事情の急激に変遷しつつある現在において、判例がこれに適応する必要ある場合には、短期間にこれを変更しなければならないことも生じ得る。しかし、この差押と相殺および相殺に関する契約の効力について、かくも急激に判例を変更する必要があつたであろうか。私はしかく考えない。そればかりか、今次の多数意見には理論として到底賛成し得ないのである。

(二)  私の解するところによれば、債権を差押えた場合、被差押債権は、差押の時点における状態においていわば差押という拘束を受けるものであるが、差押の一事によつて被差押債権の内容自体は何等の変化を受けることはない。すなわち、たまたま差押があることによつて、第三債務者は、従前に比し利益も不利益も蒙るべきではなく、被差押債権は、もし差押当時負担をもつていたときはその負担付のままの状態で存続することとなるのである。したがつて、第三債務者は、差押当時債務者に対し主張し得た抗弁をもつて差押債権者に対抗し得、したがつて、又、第三債務者は、差押当時債務者に対し主張し得なかつた抗弁をもつて差押債権者に対抗し得ないのである。

よつて、相殺可能の要件を考えるに、二つの債権が対立し、ともに既に弁済期が到来しているときは、両者の弁済期の先後を問わず、その各々より相殺を主張し得るが、両債権とも弁済期未到来のとき、後に弁済期の到来する債権をもつて、先に弁済期の到来する債権に対し相殺を主張し得ることは認め得ない。もし、これを許せば、相手方に理由なく期限の利益を失わしめることとなるからである。したがつて、債権が差押られたとき、第三債務者が債務者に対し、たとえ反対債権を有していたにせよ、「差押の時点」において第三債務者の有する反対債権の弁済期が被差押債権の弁済期より後であるときは、第三債務者は、相殺を主張し得ない。このことは、差押の時点においてのみらず、その時点の以後においても同様であつて、被差押債権が取立られることのないまま、反対債権の弁済期が到来した場合においても、なお、第三債務者は相殺を主張し得ないものと解すべきである。けだし、前述のごとく、被差押債権は、「差押の時点」の状態において拘束されたものとなるからである。

しかるに、もし多数意見によるときは、差押の時点に第三債務者が債務者に対し反対債権を有するときは、たとえその反対債権の弁済期が被差押債権の弁済期より後であるときでも、第三債務者は相殺を主張し得ることとなろう。かくては、差押債権者は、差押の時点において第三債務者より相殺されうる危険がないのにかかわらず、たまたま差押当時、第三債務者が債務者に対し反対債権を有しさえすれば、たとえ、その債権の弁済期が債務者の第三債務者に対して有する債権の弁済期に後れるものであつても、相殺される危険にさらされる。これは、差押といういわば偶然の一事によつて、第三債務者が相殺をなし得る範囲が拡大することとなる。そして、このことの不当は、差押債権者が差押と同時に転付を受けた場合を考えることによつて、容易に理解し得るところである。

思うに、条文の解釈に当つては、その文言の重ずべきことは当然であるが、その字句にとらわれることなく、理論に従つてこれを解すべきものである。そして、私は、相殺と差押との関係は前述のごときものであると解し、民法五一一条もこれに従つて理解すべきものであると考える。したがつて、同条の文言そのままを根拠とする多数意見には賛成し得ないのである。

私は、今回の多数意見に接して、右昭和三九年の事件につき横田正俊裁判官の述べられた意見を想起するものである。同裁判官は、民法五一一条をその文言どおりこれを解そうと主張し、この限りにおいて、同裁判官の意見は、今次の多数意見に影響するところがあつたものと思われる。そして、横田正俊裁判官がその主張の一根拠として、破産手続(和議手続又は会社更生手続なども同じ)の場合においても、相殺権が十分に尊重され、破産債権者が宣告当時、破産者に対し債務を負担する場合には、破産債権を自働債権として破産手続によらないで相殺し得ることをあげ、「他の一般の債権者にとつては通常の差押の場合に比し利害関係のより甚大な破産等の場合においてすら、破産者に対し反対債権を有する破産債権者に対しては、相殺権の行使が広く認められ、他の一般債権者に対して優越した地位が与えられていることが知られる」(前記判例集二二三四頁)といわれる。おそらく、今次の事件の多数意見も、同様の考に立つものと臆測される。しかし、破産のときは、期限付債権でも破産宣告の時において弁済期に至りたるものと看做される(破産法一七条)から、その結果として、破産債権による相殺が可能となるのである。これは、破産手続のため、破産者の有し又は負担していた多くの債権債務を処理するための便宜に基づくのであつて、何等多数意見の根拠となり得ないと思われる。現に、ドイツ破産法は、わが国の破産法と同様広く相殺を認めつつ(ドイツ破産法五四条)、差押の場合には相殺をもつて差押債権者に対抗し得る場合を制限しているのである(ドイツ民法三九二条)。

(三)  私は、相殺に関する特約については、前示昭和三九年の判決の際私の書いた反対意見を引用する。

今次の多数意見によれば、右判決の際論ぜられたところの、相殺に関する契約の効力のごときは、殆んど論ずる価値なき問題となつてしまつたといえよう。私は、この相殺の点につき、わが学界及び銀行などの業界にて大いに論ぜられたことを想起して感慨なきを得ない。多数意見は「相殺の制度は、互いに同種の債権を有する当事者間において、相対立する債権債務を簡易な方法によつて決済し、もつて両者の債権関係を円滑かつ公平に処理することを目的とする合理的制度」というが、私の臆測をもつてすれば、多数意見は、債権差押の場合の相殺につき、余りにも差押債権者に不利であり、第三債務者に有利であつて、「公平」に欠くるところがあると思われる。けだし、多数意見によれば、差押の一事により被差押債権は差押の時点まで背負つていなかつた負担を差押の時点において突然受けることとなるからであり、これは差押債権者にとつては予期しない不利益となり、第三債務者にとつては望外の利益となるからである。

裁判官色川幸太郎は、裁判官松田二郎の意見に同調する。

裁判官大隅健一郎の意見は、次のとおりである。

私は、本判決の結論自体には反対でないが、次の点において多数意見には賛成することができない。

(一)  昭和三九年一二月二三日の当裁判所大法廷判決(民集一八巻一〇号二二一七頁)は、相殺と差押の効力に関して、次のように判示した。すなわち、二人が互に相手方に対し同種の目的を有する債権を有する場合において、第三者がその一方の債権を差し押えたときは、相手方(第三債務者)は、差押当時両債権がすでに相殺適状にあるときはもちろん、反対債権が差押当時いまだ弁済期に達していない場合でも、その弁済期が被差押債権である受働債権の弁済期よりも先に到来するものであるときは、相殺をもつて差押債権者に対抗することができるが、右両債権の弁済期の前後が逆である場合には、第三債務者は相殺をもつて差押債権者に対抗することができないものと解するのが相当である、というのである。これに対して、多数意見は、相殺制度の機能と民法五一一条の反対解釈とから、第三債務者は、その債権が差押後に取得されたものでないかぎり、自働債権と受働債権の弁済期の前後を問わず、相殺適状に達しさえすれば、差押後においても、これを自働債権として相殺をなしうるものと解すべきであるとして、右の判例の見解を変更すべきものとしている。しかし、私は、いまにわかにかかる判例変更をなすべき理由を見出すことができない。その理由は、入江、長部、城戸、田中裁判官の反対意見中のこの点に関する部分と同様であるから、その限りにおいてこれに同調する。

なお、前記の昭和三九年一二月二三日の大法廷判決自体からは必ずしも明らかでないが、私の解するところでは、同判決の趣旨を推及すれば、(1)差押当時第三債務者の有する反対債権がいまだ弁済期に達していない場合でも、その弁済期が被差押債権である受働債権の弁済期よりも先来するものであるときは、たとえ差押債権者が被差押債権につき転付命令を得てその転付を受けた場合においても、第三債務者は差押債権者に対し相殺を主張してその債務の弁済を拒否することができるとともに、他方、(2)第三債務者の有する反対債権の弁済期が被差押債権のそれよりも後に到来するときは、その弁済期が到来した時いまだ被差押債権の弁済がなされていなかつた場合でも、第三債務者は相殺をもつて差押債権者に対抗しえないものと解すべきであると考える。多数意見が(1)の点につきいかに解するかは明らかではないが、かりに右と反対の見解をとるものとするならば、多数意見は、一見、相殺制度の目的および機能にかんがみて第三債務者の地位をつよく尊重するかのごとくであつて、実際上は、かえつて第三債務者の正当な期待を害しこれに不当な不利益を課する結果となるのではないかと思う。けだし、差押債権者は差押と同時に転付命令の申請をする場合が多いと考えられるからである。また、(2)の点については多数意見は明らかに反対であるが、これは逆に差押債権者に対して不当な不利益を及ぼすものといわざるをえない。差押債権者に対して第三債務者がどこまで相殺権を対抗しうるかの問題は、民法五一一条の規定からも窺えるように、この両者の利益を比較衡量して決すべきであるが、以上の点からみても、多数意見は右両者の利益の調整において欠けるところがあるのではなかろうか。

(二)  多数意見が、被上告銀行と訴外会社との間における取引約定書中、訴外会社またはその保証人についてその信用を悪化させる一定の客観的事情が発生した場合においては、被上告銀行の訴外会社に対する貸付金債権について、訴外会社のために存する期限の利益を喪失せしめ、一方、同人らの被上告銀行に対する預金等の債権については、被上告銀行において期限の利益を放棄し、ただちに相殺適状を生ぜしめる旨の合意(以下これを相殺予約という。)を有効と解している点については、私も結論において賛成である。しかし、多数意見が、かかる合意が契約自由の原則上有効であることは論をまたないとして、一般的にこの種の合意が有効で、かつ、第三者にも対抗しうるもののごとく述べている点には、疑問をとどめざるをえない。けだし、かかる相殺予約が契約自由の原則上当事者間において有効であることは当然であるとしても、これをもつて差押債権者に対抗しうるものとするならば、私人間の合意のみによつて差押の効力を排除しうることとなるばかりでなく、その公示方法を欠く現状においては、一般債権者に不測の損害をもたらすおそれがあることは否定しがたいところであつて、一般的にその効力を認めることには躊躇せざるをえないからである。したがつて、ここでも、相殺予約をしている第三債務者と差押債権者との間の利益の比較衡量により、問題の解決をはからなければならない。

ところで、およそ商人間に継続的取引関係があり、かつ、相互に債権債務を生ずる関係が存する場合には、その取引上の多数の権利関係に牽連性をもたせ、これを一体的に把握する思想が存することは、交互計算(商法五二九条以下)、商事留置権(同法五二一条)などの制度にみられるところであるが、わけても、銀行とその取引先との間においては、銀行の取引先に対する貸付金などの債権と取引先の銀行に対する預金債権とは、相互に密接な牽連関係に立ち、預金債権は貸付金債権などの担保としての機能を営んでいるのが実情である。そして、銀行取引約定書における前記のような相殺予約は、この預金債権の担保的機能を確保するための手段としてなされるものにほかならなく、銀行はかかる特約を活用することの期待のもとに貸付をしているのである。しかも、銀行取引における上述のごとき事情や、一般に銀行とその取引先との間の取引約定書中にこの種の相殺予約に関する定めがとり入れられていることは、取引界においてはほぼ公知の事実となつているものと認められるのであつて、その定めをもつて差押債権者に対抗しうるものとしても、あながち不当とはいえないと考える。それゆえ、相殺予約一般の効力の問題はしばらく措いて、少なくとも本件の本件の被上告銀行と訴外会社との間の取引約定書における相殺予約のごときについては、それが有効であり、かつ、これをもつて上告人に対抗しうるものと解するのが相当である。その意味において、この点における多数意見の結論に賛成するものである。

以上のように、私は、相殺と差押の効力については、多数意見に反対であり、昭和三九年一二月二三日の大法廷判決の見解を正当と考えるが、被上告銀行と訴外会社との間の取引約定書における相殺予約については、それが有効で、かつ、これをもつて上告人に対抗しうるものと解するから、結局、原審の判断は結論において正当であり、本件上告を棄却すべきものとする点においては、多数意見と帰結を同じくするわけである。

裁判官入江俊郎、同長部謹吾、同城戸芳彦、同田中二郎の反対意見は、次のとおりである。

多数意見は、相殺制度の効用を重視し、民法五一一条の反対解釈から、第三債務者は、その債権が差押後に取得されたものでないかぎり、自働債権および受働債権の弁済期の前後を問わず、相殺適状に達しさえすれば、差押後においても、これを自働債権として相殺をなしうるものとしている。しかしながら、その弁済期の如何にかかわらず、すべて差押債権者に相殺を対抗し得るものと解することが正当でないことは、当裁判所がさきに示した見解のとおりであつて(昭和三六年(オ)第八九七号同三九年一二月二三日大法廷判決、民集一八巻一〇号二二一七頁参照)、いま、これを変更すべき理由はない。したがつて、本判決に対する反対意見として、以下に付加するほか、右大法廷判決の多数意見を、ここに引用する。

一般に、被差押債権は、反対債権を有する第三債務者の立場からみるときは、右反対債権の担保としての機能を営んでいることは、否定することはできない。しかし、他面、これを差押債権者その他の一般債権者の立場からみるときは、債務者(被差押債権の債権者)の一般財産として、右債権者らの債権のひきあてとなつていることも、また看過すべきではなく、これら差押債権者らの利益も、第三債務者の利益と並んで平等に保護すべきものといわなければならない。もし、この後者の点に対する配慮を怠るならば、債権者間の平等を害するのみならず、一般債権の実現を困難にし、ひいては、強制執行制度の実効をも損なうおそれなしとしないのである。したがつて、差押債権者に対して第三債務者がどこまで相殺権を対抗しうるかの問題も、この両者の利益を比較衡量して決すべきものであり、民法五一一条も、ひつきよう、差押の効力が潜脱的に覆滅されることを防止する趣旨の規定と解しえられるから、その文言に拘泥し、同条を、多数意見の如く、第三債務者が差押前に取得した債権であれば、すべてこれによる相殺を差押債権者に対抗しうるものと解すべきいわれはないのである。

およそ、相殺は相対立する債権の弁済期が共に到来したときにはじめてなしうるのであつて、第三債務者の有する反対債権の弁済期が被差押債権のそれよりも後に到来するものである場合には、差押債権者は、被差押債権の弁済期到来と同時にその段階においてすでに右債権の弁済を受けうる地位にあるのであるから、第三債務者はもはや右差押債権者の地位を害することをえず、自らの有する反対債権をもつて相殺をなしえないものといわなければならない。けだし、両債権の弁済期の先後が右のような関係にある場合には、第三債務者、差押当時、自己の有する反対債権をもつて、被差押債権と相殺することにより自己の債務を免れるという正当な期待を有しないものというべきであり、同法五一一条は、かかる場合にも類推適用さるべきものというべきであつて、もし、かように解さなければ、第三債務者が、既に弁済期の到来した被差押債権の弁済を拒否しつつ、自己の自働債権の弁済期の到来をまつて、相殺を主張しうることをも認容せざるをえず、かくては、差押債権者の利益に比して、第三債務者の利益を不当に保護する結果を招来するにいたるからである。

多数意見は、また、被上告銀行との間における取引約定書中、訴外会社またはその保証人について一定の事情が発生した場合においては、被上告銀行の訴外会社に対する貸付債権について、訴外会社のために存する期限の利益を喪失せしめ、一方、同人らの被上告銀行に対する預金等の債権については、被上告銀行において期限の利益を放棄し、直ちに相殺適状を生ぜしめる旨の合意を、契約自由の原則上当然に有効なものとしている。しかしながら、差押債権者と第三債務者の利益の比較衡量という観点からすれば、かかる合意も、前記の範囲、すなわち、反対債権の本来の弁済期が被差押債権のそれより先に到来する場合にかぎつて、これを有効と解すべきものであつて、然らざる場合にまで、これを有効と解すべきではない。けだし、そのような場合にまで右合意を有効とするならば、私人間の合意のみによつて差押の効力を排除しうることになるばかりでなく、物権と異なり、その公示方法を欠く現状においては、一般債権者は不測の不利益を蒙るおそれなしとせず、他の担保権との均衡をも害するものといわなければならない。当事者間のいかなる合意も、かかる優先権の公示たる機能を果たすものとはいえず、また、債権なるが故に、いかなる契約も自由であるとする見解は、差押債権者に対する関係において、被差押債権が、債務者の一般財産を構成している点を忘れた議論であつて、その採りえないことは、前述のとおりである。

しからば、本件においては、被上告銀行の主張する相殺は、同銀行の自働債権とこれより弁済期のおくれる被差押債権との間に限つて認容されるべきもので、それ以外の関係に立つ債権間の相殺は、これを許すべからざるものである。しかるときは、原審の確定した自働債権および受働債権のうち、原判決の引用する第一審判決の別表(二)の(1)および(7)記載の貸付債権と同(一)の(1)記載の預金債権との相殺のみが許され(その余の同(一)の(5)ないし(7)の預金債権については、上告人は当審において、被上告銀行の同意のもとにその請求を取り下げたので、これについては、もはや判断を加える必要をみない。)、被上告銀行は、上告人に対し、本訴請求債権のうち、右相殺の残額である一、四五五、〇〇〇円を支払うべき義務があるものというべきである。したがつて、これと異なる見解のもとに、被上告銀行の相殺の抗弁を全面的に採用し、上告人の本訴請求をすべて排斥した原判決は、差押と相殺の関係についての法令の解釈適用を誤つたものというべく、論旨は右限度において理由があり、原判決は破棄を免れない。よつて、本件については、原判決を破棄し、被上告銀行をして、上告人に対し一、四五五、〇〇〇円の支払をなすべき旨の判決をすべきものである。(石田和外 入江俊郎 草鹿浅之介 長部謹吾 城戸芳彦 田中二郎 松田二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 松本正雄 飯村義美 村上朝一 関根小郷)

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